メルボルンに初めて来た日本人は誰なのか

オーストラリアは移民国家ですが、とくに私が住んでいるメルボルンはいろんな国からの移民が多く住んでいる都市です。たとえばメルボルンにはギリシャ人が多く住んでいます。ギリシャ国外で最もギリシャ人が多い都市としても知られていたりします。また、中国人も多いです。横浜のそれよりは規模は小さいもののチャイナタウンもあります。それからライゴンストリートと呼ばれる通りはイタリア人街として有名でイタリア料理のレストランがたくさんあります。もちろんメルボルンには日本人もたくさん住んでいますし、また日系オーストラリア人も住んでいます。街中を歩いていてもときどき日本語を話している人たちを見かけます。しかし、今でこそ日本人はたくさん住んでいますが、昔はもっと少なかったと思います。そこで、私は、初めてメルボルンに来た日本人はどんな人だったんだろうとふと思って、日本人はいつからメルボルンあるいはオーストラリアに住み始めたのか、初めてメルボルンに来た日本人は誰なのか調べてみました。

調べてみたところ、どうやら江戸時代にメルボルンに来た日本人たちがいたらしいです。彼らはオーストラリア大陸に最初に足を踏み入れた日本人でもあります。彼らの職業はサーカス団つまり曲芸師だったようで、曲芸を披露するために彼らは世界中で海外公演を行っていたようです。幕末から明治初頭にかけて、イギリス、アメリカ、香港などに海を渡っていった日本人たちはけっこう多くいたようで、その中のある一団がオーストラリアへたどり着きました。

いくつかの史料によって、少し情報が異なるのですが、彼ら曲芸師たちがオーストラリアに到着したのは1867年12月だそうです。1867年ということはギリギリ江戸時代ですね。そのときは一時的な訪問でしたが、1871年には、すでに最初の日本人定住者が存在していました。

当時、メルボルンは国際的な港湾都市で、最初の日本人曲芸団もメルボルンからオーストラリアに到着しました。その曲芸団のなかでサクラガワ リキノスケ(桜川 力之助)という人物がオーストラリアに定住することになったそうです。1848年生まれの彼はオーストラリア最初の日本人定住者であり、オーストラリアにてJane Kerrというオーストラリア人女性と結婚しました。

上の写真は桜川一家の写真です。この写真を見るかぎりでは、奥さんのJaneさんも同業だったのかもしれませんね。その後、彼に続いて日本人がオーストラリアに移住しはじめ、1900年頃にはすでに数千人の日本人がオーストラリアに住んでたらしいです。

桜川力之助さんが英語が堪能だったのかどうかわかりませんが、誰も日本人がいない社会で先駆者として生きていくのはさぞ大変だっただろうと思います。150年近く前に日本からやってきた彼はこの地で何を思っていたのか、そんなことを考えるとなんか不思議な感じになってきました。

参考資料
Japanese in Australia: Past, Present and future (PDF)

Japanese – Entry – eMelbourne – The Encyclopedia of Melbourne Online